【コラム02】「アラヤシキの住人たち」考(1)石井彰さん

「アラヤシキの住人たち」考

1.ふと迷い込んだ真木集落にて

 この映画は一見すると、とても不親切な映画だ。私のようなテレビドキュメンタリーの構成作家からすれば、信じられない映像記録である。というのは映画を一回見ただけではナレーションも少なくスーパーも少ない(ほとんど説明を排除している)ため、撮影の舞台となった長野県の小谷村がどんな場所なのか、真木共働学舎がどんな組織なのか、また登場人物たちさえ、主要な人以外の名前も明かされることはないほど徹底している。
 明らかに本橋成一監督は、説明を拒否している。その潔さは心地よいほどだ。
 そこでこんな風に受け止めた。
 観客の私たちは、ある目的を持ってこの場所と住人たちを訪ねたのではなく、映画館に入ってしまったら、ふと真木集落に迷い込んでしまった「とまどい」と、だからこそ予断と偏見なく、瞬間の滞在者として「住人たちの暮らしの時間」を、ただただじっと見つめる。そしてたくさんのことを感じる。
 「知る映画」ではなく「感じとる映画」を監督は撮った。ハメルーンの笛吹き男のような監督の狡猾な知恵に、まんまと私たちは誘われたことになる。まさにしてやられたと思うと、悔しいと同時になんだか嬉しくなる。
(続く)

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映画『アラヤシキの住人たち』
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