監督からのメッセージ

『アラヤシキの住人たち』を撮るきっかけ

共働学舎の創設者、宮嶋眞一郎氏はぼくの中学校のときの恩師です。通っていた自由学園は、共働学舎と同じように「競争社会よりも協力社会を」という精神のもとにある学校でした。卒業し、どんどんモノが豊かになっていく時代のなかで、何かが違う、豊かとはこういうことじゃないんじゃないか、という思いがいつもどこかにありました。5年ほど前から真木共働学舎に行くようになり、ああここにはぼくが教えられた原点がある、と思ったのが映画を撮るきっかけです。

他人を認めるということ―「世界はたくさん、人類はみな他人」

昔「世界はひとつ、人類はみな兄弟」という言葉が流行りました。いいこと言うなあと思ったのですが、写真の仕事を始めて世界中へ行くようになってみると、いやあ違うんじゃないかなあ、と。風土も宗教も言葉も違う。「世界はたくさん、人類はみな他人」じゃないのか、と思いました。

以前小学校で話す機会があり「ピーマンが嫌いな人はいる?」と聞いたら、半数以上の子が手を挙げました。手を挙げなかった男の子に「お隣さんは嫌いだって言ってるけど、どう思う?」と聞いたら、「口の中に突っ込んでやる!」って答えたんですね。なかなか正直ないい答えだなと思ったのですが、相手が嫌いだってことを認めてあげるというのも大切なんじゃない?と話しました。

今、世の中どんどん自分のことを相手に押し付けるような風潮になっていますが、真木ではそうはならない。お互いもうしょうがないなーって思ったり、主張したりしながらも、みな相手を認めるんです。だからいろんな人がいながらも、真木共働学舎の中では人間関係が成り立つんですね。

真木には、おもしろいおじさん達がいます。本当にいいおじさん達で、こういう人たちが町にうろうろしててもいいんじゃないかと思うんです。一家に一人じゃ少し大変だけれど、一丁目に一人くらいはいてもいいなって。彼らのような人が近くにいることが実はとても大切なことなんじゃないかと思っています。

夫婦だって、恋人同士だって、学校だって、会社だって、国だって、相手を認めるっていうのはとても大切なことですよね。俺はピーマン嫌いだけどお前が好きなのは認めるよ、と。 それが真木共働学舎には当たり前にあるんです。

自分自身の時間の流れ

もうひとつ、真木に行っていいなと思ったのは、農業中心の時間の流れです。都会では、時間は自分の生理で過ぎていくのではなく、何かに決められた時間の流れなんですよね。けれど真木のように農業で、生きものたちと一緒に暮らしているなかでは、時間の流れ方が自然なんです。そのなかでは、ひとりひとりが自分自身の時間の流れを持てる。それが今、いろんなモノに囲まれている僕たちの生活で、見失っているものなのだろうと思うんです。

(2015年2月 東中野にて)

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映画『アラヤシキの住人たち』
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