「アラヤシキの住人たち」考
7.「本物のまれ人」へのいざない
この押しかけ連載コラム第一回で、この映画を「とても不親切な映画」だと書いた。映画を見ただけでは、映画の舞台となった「共働学舎」についてはよくわからない。どうしても不思議さがつきまとう。でもきっと観客の一人一人がそれぞれの視点で映画を見て、勝手に感じたり考えたりすればいいんだなと、一週間たってからそう思えるようになった。
ふとまぎれこんだ「まれ人」であることに物足りなくなった観客は、映画パンフレットや同名の写真絵本を買って読めばいいのだろう。これもハメルーンの笛吹き男の仕掛け?
これらを読み、写真やイラストを眺めていると、登場人物の名前や特徴、共働学舎の歴史と経済、そして集落の暮らしの全体像が鮮やかに立上がってきて不思議の雲が晴れる。
かつてある映画監督からこんな風に言われたことがある。「映画を見て良かったという客と良くないという客が、怒鳴り合うような映画がいい映画なんだと思う。皆がなんとなく良い映画だと思うのはちっとも良くない」
この映画は怒鳴り合いこそしないけれど、誰かと語り合いたくなる。それでも物足りない「まれ人」は、もはや「本物のまれ人」となるべく、一時間半かけて山道を登りアラヤシキを訪ねたらいい。(ひとまず終り)