時間がゆったりと流れてゆき、その中で観客は人生について、社会について、更にこの国について想いをめぐらせる。
心を豊かにしてくれる作品です。
社会はアカの他人たちで構成されている。
だからまとめあげるためにはシンボルがいる。
ナショナリズムとか成功の記憶とか。
でも、他のあり方はないんだろうか。
まとめあげるでもなく、ばらばらに分解するのでもなく。
たとえば「暮らし」でつながるとか…。
圧倒的な映像美の中、そんなことを夢想させてくれる映画だ。
山地で暮らすアラヤシキの住人たちの日常が、周囲の自然と同じように、「風景」として描かれています。人々の暮らしのたたずまいが風景のようにそこにあることをみるのは、奇跡をみるようなものです。この映画は、奇跡の「風景」を撮ることに成功したようです。
水の、虫の、鳥の まじりあってひとつとなったひびきに、効率ではなく、自然界の時間があらわれている。いや、自然=時間が、みているわたし・わたしたちと併走している。画面をみているものは街のどこかの闇のなかにいて、映画のなかの人たちは陽の射す、孤立した学舎の近くにいる。
おたまじゃくしの、子どもたちが息を五右衛門風呂にもぐっていられる、水流の異なった川の、ゆっくりと、ながれる、経っている時間、多くの異なった。
田圃に植えられる小さな稲。黄色くなった稲。刈りとられて干される稲。この時間。
本橋成一は時間のながれを撮る。時間のながれのなかにある人を、人のすこしずつの変化を、撮る。
「ある being」。安心して安定的に自分が自分であっていいという存在感覚のことだ。「ある」は、一緒の誰かとともに育まれる。誰でもいい誰かとでなく、その人にとっての特定特別の誰か。そして「ある」は「する doing」に優先しなければならない。このウィニコットの考えを基底に据えながら、養育論を構想してきた。
アラヤシキの暮らしにはそのような「ある」を最優先にする思想があると思った。映画は、アラヤシキという場を、輪廻する悠久の時間を骨格とする、厳しくも美しい自然の姿として写し撮った。映像の思想詩が生まれた!
山奥のかつての集落。と言っても二三軒なのだが、そこに移り住んだらしい一見欠点だらけの人間たち。時には口論ともなるが、出戻った青年にも優しい。ここにあるのは田舎の生活だが、クソ田舎のクソ根性がない。それがいま、貴重であり、素晴らしく思えた。
単調さが支配する日常描写の中で、住人たちが感情を露わにする瞬間が、わずかにあった。
それは福音書の「放蕩息子の帰還」を思い出させるエピソードだったが、
そう予言されていたかのように出来事は回収される。
そして僕は “誰もが認め合う” という家の姿を眺めながら、
「このような世界に住めるだろうか」と自問してしまった。
不平等を大きく包み込む平等精神。
不寛容をも許容する寛容。
競争や戦いを求めぬいのちの尊厳。
そういったことをたんたんと見ました。
ああ、わたくしの幼少年期に
あの風景、あのひとびとがいたなあと、
春先の風にかやぶき屋根が呼吸して
ふきあがる湯気のにおいは、
人間のいとなみのかぐわしさをふくんで、
胸にせまってきます。
今こそ、地球に必要なヒトの行為が、
ここに映っています。
「滞在時間117分」で山籠りライフを味わう滞在型映画。いがらしみきお系の住人がただただ働きメシを食う一年間は、この星で何万年も繰り返されてきた時間の缶詰。ノアの方舟を記念撮影したみたいな「動くアルバム」。スクリーンの真ん前で見れば3Dだ!
「現代の日本にこのようなゆったりとした時の流れの中で生活をしている方たちがいることを知り、まるでタイムスリップをしたような、不思議な感覚がありました。生きにくさを抱えている人や様々な人達が力を合わせていきいきと生活している姿が素敵だなと思います。農作業中に突然歌を歌い出す男性。突然の歌にもかかわらず、そこにいる人たちは驚くことなく、普段通りに自然の中時が流れていく。自然の懐に抱かれて、無理なく支え合いながらの暮らしが丁寧に描かれていると思いま す。稲刈り時のおやつ、何だったんでしょう。皆さん本当に美味しそうに楽しく食べていらっしゃったのがとても印象に残りました。
この映画の登場人物のちょっとしたしぐさに共感の笑いがおこる。 そういう空間を作り出すことが必要なのではないか 映画を見ることと見る場所そのものを考えさせられる映画である。
「ナージャの村」「アレクセイと泉」の本橋監督作ということでとても楽しみに拝見いたしました。
共働学舎の存在はこの作品で初めて知ったのですが、「競争社会よりも協力社会」とのモットーや他者の尊重や寛容さなどがいよいよ重要な時代に差し掛かっていることを映画を観ながら改めて感じました。
賃金を代償とする労働に生きがいを見出すのがどんどん難しくなるだろうと言われるなかで、なぜ生きるのか?を自問する人は今後、確実に増えるように思います。
そんな中では「アラヤシキの住人たち」のような作品が大きなヒントを与えてくれる・・・
そう思いました。
雪解け水が流れ出す音、鳥たちの囀り、虫の声、雪道を歩く足音…。田んぼの作業ってそうそうこんな音がしてた。とにかく、この映画からあふれ出す音たちが素晴らしいのです。私の故郷にもこういう豊かな音が満ちていたっけ!と、懐かしさと愛おしさで泣けてきました。
ありのままをありのままに受け入れ合って生きる中で生まれる
ありのままの関わりがそのままゆるしといやしの関わりになっていることに感動しました。
又、人々の生活そのものが周囲の自然と溶け合いここにも自然とのありのままの関わりを感じました。