2月の豪雪時期の初めてのロケに皆が参加し、あのすさまじい雪おろしを撮影しているとき、私は映画館で古いフィルムに囲まれていました。その時映写をしていた上映企画が、映画を繋ぐ男たち 映画編集者の世界」だったのは何かの偶然でしょうか。
とにかく私は伝説となる豪雪のロケには行けませんでした。帰ってから参加した皆が口々に話す”往きに三時間かかった””家の中が想像以上に寒い”など、辛い話も楽しそうに聞こえるこういう時って不思議です。
今回私は編集をやることになってはいましたが、製作部でもあり、監督以外車が運転できないロケ隊を迎えに、何度か真木に行きました。
初めて参加したのは4月から5月にかけてのロケ。一時間半の山道は想像以上にキツく、特におしゃべりの止まらない信さんとの登山は、話のおもしろさはどこかに行ってしまって、チョットダマッテ…とは言えずにハアハア肩で息をしながら登りました。
印象に残っているのは真木が見えてくる瞬間。最後のキツめの坂を登ると一気に開ける視界。そして映像で何度か見ていたアラヤシキその他の家々。アラヤシキに近づいていくと、カメラマンの一之瀬さん、助監督の佐久間さん、録音の雄三くんがいて、ああここで撮ってるんだな、とどこか神々しさを感じたものでした。
一晩泊まって、次の朝。朝焼けを押さえようと5時半ごろ起きて、6時前には外に出て、私もベビーの三脚を持ったりしながら撮影隊に同行していたのですが、アラヤシキのメンバーは既に働いていました。ヤギの世話をしたり、畑の手入れをしたり、道具の手入れをしたり、ゴミを燃やしていたり。それぞれが何となく自分の仕事をしていて、そのあと6時半になるとえのさんがラジオを持って出てきて、みんな集まってきてラジオ体操をして、少し会話したりしながらコミュニケーション取り合って、終わるとまたなんとなく解散していく。7時になるとご飯の板木がなって、やっと朝食、というこのリズムが心地よくて、映画ではこの時間の流れを表現したいな、と思いました。この時私は「朝メシ前」という言葉の意味を知りました。
▼写真は、現場では運転からサブカメ、荷物運び…なんでもこなした編集石川
(記:編集/石川翔平)