「アラヤシキの住人たち」考
5.なんべんも思考をうながす映画
私は試写会で一回、上映初日にもう一回映画館で見ただけだ。にもかかわらず、見たら様々な思考が途切れることなく浮かんできては、ぐるぐる私の脳を駆けめぐっている。それで、こんな押しかけ連載コラムを頼まれもしないのに勝手に書いている。
さて、この映画の最大の特徴は「声高な主張」を避けている、ことではないだろうか?
もし監督に「映画のテーマはなんですか」などと質問すれば、きっとモジモジして困るだろう。それは本橋監督の作品すべてに共通するような気もするし、もしかすると監督自身の「アラヤシキ」での体験や、たぐいまれなる監督の資質によるものかもしれない。
映画を見ながら浮かんできたのは吉野弘の詩だ。「正しいことを言うときは/少しひかえめにするほうがいい」(「祝婚歌」より)
この映画もとてもひかえめだ。この集落そのものは「勤労生活を重んじ、競争社会ではなく、協力社会をめざす」人々によって運営されている。けれども、そのことが論じられたり語られたりはしない。ただ黙々と大地を耕して暮らしている。だからよけいに、私たちの暮らす「競争社会」について考えることや、立ち止まることを促されてしまうのだ。
(続く)