「アラヤシキの住人たち」考
6.「競争社会」のど真ん中で
この映画の観客には比較的高齢者が多いという。逆に言えば若者が少ない。ただこれはいたしかたないのではと、私は思う。
だって「競争社会」にどっぷりつかった日々を生きてきた高齢者だからこそ、立ち止まって考えるきっかけを求めている。
もちろん若者たちも「競争社会」の真っただ中に暮らしている。そこからはずれてしまった「居場所なき若者たち」の中には、この集落にやってきて居つく者もいれば、ふらりと出て行く者もいる。そして帰って来る。
アラヤシキは、いわゆる「とざされた共同体」ではない。電気や水道もあり、屋敷正面にはBSアンテナが見えるし、仕事の打ち合わせの時に、若者はスマホをいじっている。
映画には出てこないが、住人たちは麓へもたびたび下りているらしい。けれど麓そのものは描かれない。またBSアンテナは撮られていても、住人たちがテレビを見ている場面はない。それはなぜだろうか?
たぶん監督はそんな場面には興味がないのだろう。けれど私は、住人たちが麓や町でどんな表情をしているのか、何を買ったりしているのかが、どうしても気になって仕方がない。それはたぶん私がまだまだ「競争社会」のど真ん中にいるからなのだろう。
(続く)