【トークレポート07】田沼武能さん

5月17日、ポレポレ東中野にて、 写真家の田沼武能さんを迎えて、トークイベントを開催しました。
日本の、また世界中の子どもたちを長く撮り続けている田沼さん。、真木に共働学舎ができる前に、この地の分校を取材されていました。イベントでは、取材で撮影された写真のスライドを見ながら、当時の真木について話していただきました。

本橋
「田沼さんは、共働学舎を創立した宮嶋眞一郎先生が行かれる7年前、昭和37年に、真木を取材なさってるんです。文芸春秋の取材ですね。共働学舎が入る前の真木を、スライドでみなさんにも見てほしいと思います。取材されたのは真木の分校ですよね。」

田沼
「真木分校という分校がありまして。冬の間は道が大変で、小さなこどもは本校に行けないんですね。それで分校があるわけですが。あるとき、先生1人に生徒が1人になってしまったんです。当時は、ほかの学校では過疎化ではなく過密化学級でね。ひとクラス50人なんていう学級がいっぱいあった時代に、真木は先生1人に生徒1人という状態になってしまった。これは撮っとかなくちゃと思って、取材に行ったんです。取材したのは、この共働学舎が始まる前ですが、この映画のパンフレット見てたら、真木と書いてある。これは僕が行ったところだ!と。それで初めて、自分が取材した真木に共働学舎があるということを知りました。
(スライドを見ながら)これが朝礼の時間でね、先生1人に生徒が1人、手前の幼児たちは、まだ入学してない予備軍。幼稚園なんてなくて、行くところがないから、分校に来るんです。休み時間には、この幼児たちが活躍するんです。生徒の女の子は1人きりだから、休み時間でも遊ぶ相手がいないので、予備軍が参加して休み時間は一緒に遊ぶんです。
それから、体操の時間は教室に入れてもらえるんです。先生と生徒2人だけだと、やる気も起きないしね。小さいこどもたちも一緒にやります。アラヤシキの映画にも最初に体操のシーンがありましたが、アラヤシキの体操はね、みなさんはバラバラでしたが、ここの子どもたちはちゃんと息が合ってましたよ。笑」

本橋
「何年生ですか?この女の子。」

田沼
「四年生ですね。その次の年、五年生になると本校に行かないといけないんです。で、この予備軍が入学するんです。ともかく、四年生のこの子は、1対1だから、授業中もよそ見できないね。」

本橋
「当時、この分校の1対1という状況は、評判になったんですか?」

田沼
「いや、そんなことないかな。この先生が、マスコミが大嫌いなんですよ。取材、みんな断ってたらしいです。僕も断られるかなと思いながら行ってみたら、なんとなくウマが合って、取材させてもらったけど。やっぱり、ここにいるような人だから、この先生もちょっと変わり者なんだね。笑
放課後は、予備軍もいっぱい、近所のおばさんも来ちゃう。きわめて家族的ですね。こういう生活をしてると、人間と人間の絆っていうのは強くなりますよね。都会みたいに『隣は何をする人ぞ』みたいなことはなくて、隣もなにも、夕飯に何食ってるかってことまでみんなわかっちゃうような村です。
先生んちのこたつにも、みんなが入ってきちゃう。」

本橋
「あ、郵便屋さんが写ってますね。今は、郵便屋さん、ここまで上がってこないんですよ。」

田沼
「この時代は郵便屋さんがここまで来てました。だいたい郵便局がなくなると、その村がなくなるって言いますね。小学校と郵便局は絶対に必要なんだ。」

本橋
「これ、何月頃の写真ですか?白菜なんかが写ってるから・・・」

田沼
「冬になる前ですね。先生は週一回、下におりて、食糧買って、真木まで戻ってくる。大変だよね。小さな農園があって、そこでいろんなものを作って食糧の足しにしてる。こどもたちが一日くっついてるから、先生は休まる時間がないよね。
小谷村って地崩れが多いんです。あっちもこっちも崩れて、家々も崩壊して。崩壊すると建て直しができなくて、山を下りていくんです。障子までしょって下りて行くんです。それでどんどん過疎化が進んでいきます。」

本橋
「この7年後、廃村になっちゃいますね。そこに共働学舎が来るんです。」

田沼
「そのあと、今村昌平監督の『楢山節考』のロケ地に使われますね。」

本橋
「今村監督が宮嶋先生に三度お願いしにきて、三度目でオッケーしたそうで。そのときに、ロケのために分校はなくしちゃってね。今でも古い人たちは残念がってますね。」

田沼
「ま、そんなに歴史的な建物というわけではないんですよ、ごく当たり前の分校でね。でもこの村の人たちにとっては、大事な歴史ですもんね。
ここにね、共働学舎ができる場所に、自分が7年前に入っていたっていうのが、なんだか不思議だなぁって思うね。話聞いているうちに、どうも僕が行ったところと同じような気がしてね、よく聞いたら真木だっていうんだもんね。これもご縁だよね。 笑」

本橋
「映画のスタッフ何人か、ロケの間の一年半くらい、ずっと住み着いて撮影してたそうです。
共働学舎はこの小谷村からスタートして、いまは北海道や東京に全部で5か所に広がったわけですね。」

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映画『アラヤシキの住人たち』
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